kabocha diary

備忘録、日記代わり。如月千早がお気に入り。

PCゲーム「沙耶の唄」と記号論。感想とか

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前回が初投稿でした。考えをまとめて、文章にしてみるのも面白かったのでぼちぼち続けようと思います。気が向いたら。

今回は沙耶の唄の話です。発売はニトロプラスでジャンルはサスペンスホラーです。分岐は2か所しかなくプレイ時間も10時間くらいで終わるので、短い時間で楽しめます。精神状態が悪い状態の人にはオススメ出来ないです。「火の鳥・復活編」のオマージュ。一部SF小説「グリーン・レクイエム」が元になっているのだとか。いつか読んでみたい。知っている人は知っているゲームだから説明はいらないと思うけどあらすじ

 

匂坂郁紀(ふみのり)は交通事故での脳神経のダメージから五感に異常をきたしてしまう。人が化け物にしか見えなくなり、恐怖と嫌悪から独りで生きていくと覚悟をする。そんな中、唯一ヒトの姿に見える少女と出会う。彼女と出会い彼の狂気は世界を侵食し始める。

 

少し検索するだけで感想が山ほどあるので、少し違うところに焦点が当たってたらいいなーと思いながら、感想などを書いていきます。

 

奥涯教授の部屋に置いてある三冊の本のタイトルです。「Traite des chiffres」訳)数値について「Ars Magna et Ultima」大いなる術「Voynich magnuscript」ヴォニッチ手稿 注目したいのはこのヴォニッチ手稿、1912年にイタリアで発見された実在する未解読だった古文書だということ。さらに100年以上解読されなかった古文書が先月、カナダ在住の電気技師によって読解に成功したということ。面白くないですか?

 

物語の肝となるのは3点。①主人公は自分が異常で「世界」の方が正しいという事を頭では「認識」していること。②頭ではわかっていても、目を通して人が怪物に見えたり、腐臭を感じるのは紛れもなく郁紀にとっての現実であること。③沙耶のことしか人間の姿で認識できない郁紀と郁紀にしか人間の姿で認識できない沙耶であるということ

 

タイトルに記号論とつけたのは作中で教授の本について触れた時に記号論という単語が出てきたこと。作品が「認識」「可能性」といった、ものの在り方や機能を探究する記号論と近いものがあったからです。

 

本作の使用曲は全てSから始まり、点対称。交通事故がきっかけで運がないの一言で片付けられていますが、世界が以前とは様変わりしています。Sという点対称の文字に、きっかけひとつで180度変わり、世界が全く違うように感じる「可能性」が潜んでいるというメッセージを感じましたがどうでしょう?

いとうかなこさんの「ガラスのくつ」もタイトルと歌詞で、硬くて脆い現実は少しの衝撃で簡単に足元から崩れ去るというイメージが浮かびました。

 

ここから内容に入ります。ネタバレ注意です。

 

沙耶が玄関で「おかえり」と迎えるシーンと隣家の鈴見の娘が「ただいま」と家に入るシーン。そして津久葉揺が郁紀に告白をして保留になっていた話を切り出すシーン、郁紀が沙耶に告白をしようとして保留になっていたシーン。

物語が短いからこそ対比がわかりやすかった。選択肢があって分岐する所は現在、過去、未来と丁寧に細かく文章になっているから意味の取違いとかはなさそう。ただ、どう感じるかは個人差があると思う。

 

 

沙耶について(奧涯教授曰く)

 

 

「嘘をついて虚勢を張る」という心理的活動を行った試しがない。数学においてはコンピュータを凌駕、人智を超えた認識力。雌という自己認識に充分すぎる知識量を基盤に笑い、怒り、泣くといった行動模写から「彼女」は人間としてのアイデンティティを獲得しようとしている。

 

まあ人間より高次元な知的生命体ですね。異星人とか次元が違う生命体と対峙することで、人間は鏡の前に立つことになる。認識や魂について考えさせられるゲームでした。人間の中で生活をしてると「なんとなく」通じたりする。想像出来ないような基地外なことも人間にとって既知外なだけのこともたくさんあると思います。

見えるものしか見えないし、認識できるものしか認識できないし、理解できるものしか理解できない。そんなもの。

 

「ビー玉みたいな目をしているね」この文章をどちらの意味でとりましたか?光るような綺麗な目というイメージ?くすんだ作り物のイメージ?個人の感覚に依ると思います。僕は綺麗な方をイメージしました。後に付け加える言葉でガラリとイメージが変わることがあって面白いですね。 ビー玉みたいな目=「死んだ目をしてる」と話している人を最近見かけたので書いちゃいました。

 

次も言葉の話です。「死んだ魚の目をしてる」わりと聞く言葉ですね。人間なら生気がなかったり、魚なら白目がくすんでたりすることをイメージすると思います。釣りをする人か業者ぐらいが本物の(?)死んだ魚の目を見る機会があって、多くの人が見ることになるのは店頭だと思います。でも実際に並んでいる魚の目の鮮度はそこまで悪くはないんじゃないかと思います。理由は単純で、未調理で鮮度をウリにしている魚の目が悪かったらイメージも悪いし売れないので、そもそも店頭に出ないということです。実際にそうであるかということより、普段使う言葉からイメージが創られている所が面白いと思いました。

 

「直感は、はっきりと迫り来る破滅の足音を聞いていた」作中に出た文なんだけど比喩表現多く。「直感」「迫り来る破滅」「破滅の足跡」という感覚的なものを重ねた上で「はっきり」と断定して「迫り来る」という動きまでついている。抽象的なことのカタチが作られていくようで言い回しが結構好きです。

 

沙耶の唄はプレイしながら書いたメモがB5用紙で表裏5枚になったので値段の割に楽しめました。抵抗がない人には勧めていきたいゲームでした。次はアイマス関連のことを書くつもりです。